overture

三度の飯よりまるしげが好き。

もう一度加藤シゲアキに恋をした話

 
 
あの日東京ドームで、私はもう一度加藤シゲアキに恋をした。
 
1度目は2012年ツアーのライブDVDだった。真っ白い衣装に黒髪が映えて、胸についた羽を揺らしながら笑う彼は大袈裟ではなくまるで天使だと思った。
涼しげな顔、悩ましげな声、非の打ち所のない鮮やかな笑顔。
 
「正直、もうだめだと思いました」
 
ステージでひとりスポットライトをあびながら、きれいな顔をぐしゃぐしゃにして彼は心をさらけ出していた。
彼に決めたという感覚も、ましてや雷に打たれたかのような衝撃もない。
ただただひたすら好きだと思った。この人のことをもっと知りたいと思った。
それが私が彼に初めて恋をした瞬間だった。
 
 
 
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ついこの間降りたばかりのような気がするのに、気がつけばあれから3年がたっていた。リアルでの環境が変わって、生活が変わって、好みが変わって、目移りしたり掛け持ちをしたり、わたしは決して真面目な加藤担ではなかった。趣味に真面目もクソもないのだが、とにかくこの3年間はズボラで無責任なおたくだった。
 
NEWSを全く追わない時期もあれば他のタスクを放り出して夜通しDVDを見ることもあったし、円盤類は迷わず全種購入するくせに封も切らず半年以上放っておくこともあった。
私生活がグラつくとアイドルにすがり、各方面が充実するとアイドルを見なくなる。
 
自担のことはなんでも知っていたいのに、自分で調べることはしない。自担のことを知らない自分を見たくなくてわざと忙しいふりをしていた。他人が知ってて自分が知らない自担がいるのが嫌だった。
そのくせ露出はチェックしないしレコーダーの残量がなくても見て見ぬ振り。
友人へのダビングだってきっと1つや2つは録り逃していただろう。
忙しいからおたくできないなんてただの言い訳だった。
中途半端になるくらいならライトファンという名を盾にして目をそらす方が楽だった。
 
忙しくたっておたくはできる。いや、本当にできないくらい忙殺されてる人だってたくさんいるんだろうけど、私の「忙しい」はただの言い訳でしかなかった。
 
本当にもったいないことをしていたなあと思う。私がズボラなおたくをしていた間も、加藤さんはずっと歩みを止めなかった。1分ごと、1秒ごと、ずっとずっと彼は彼のかっこいいを更新し続けていた。と、今になって気がついた。
 
 
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私はあと2年で環境が大きくかわり、今年の春からその準備の年がスタートしていた。この後の人生がかかった大きな年に趣味へのモチベーションは下がり、「趣味は趣味だから、今年と来年くらいはお休みしよう。」そんな考えが日を増すごとに大きくなっていた。
 
将来のことを考える真面目な態度が神様に気に入られたのかそれとも趣味から離れることを許されなかったのか、縁あって東京ドームに2daysとも入れることになった。実家が名古屋にあり、いつもなら名古屋の公演だって死に物狂いで探すくせに、今年はしなかった。正直、自分の名義が全部外れていたってこの時の私ならそこまでショックを受けなかったかもしれない。
 
そんな状態のやつがNEWSのライブに行くなんて贅沢だと、これを書いていて心底思う。殴り飛ばしてやりたい。貴重な貴重なNEWSとのデートをそんなモチベーションで迎えるくらいなら、いっそ今の私に譲ってほしい。
 
 
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来たるNEWS LIVE TOUR 2016 QUARTETTO。
東京ドームで見る彼は、今まで見てきたどんな彼よりかっこよかった。
 
近くて遠いステージの上、歌って踊って笑って手を振るあなたは 果たしてこんなにもかっこよかっただろうか。
眩しくて目が離せなかった。彼が動くたび揺れる裾からキラキラした何かが溢れ出て見えた。
動いてる加藤さんを久しぶりに見た気がした。歩き方も、振り返り方も、一生懸命踊る姿も、ずっとずっとかっこよくなっているように見えた。
 
私は今まで何を見てきたんだろう。
 
目の前で起こってることが奇跡のように感じた。加藤さんが生きて、動いていることが嬉しくて泣きそうになった。
 
こんなにかっこいい人を私は見た事がなかった。
 
眉をひそめたクールな顔も、少年のようなかわいい顔も、ファンに向けるキラキラスマイルに、メンバーに見せるネコバス笑い。全部全部かっこよくてかわいくて、ぜんぶぜんぶ覚えておきたかった。
 
加藤さんが好きすぎて頭がぼーっとして、途中からペンライトを振れなかった。いつもなら手放せない双眼鏡は首からぶら下がったままだった。胸の前で彼のうちわを握りしめながら、わたしはただひたすらに今加藤さんと同じ空間にいるんだという事実を記憶しようと必死だった。
 
加藤シゲアキって、なんてかっこいいんだろう。加藤シゲアキって、なんて可愛いんだろう。小説を書いてることとか、ラジオで趣味の話をすることとか、メンバーとのエピソードとか、過去の苦悩とか。全部目の前のこの人に関する事実なんだと思うと、好きが溢れて頭がおかしくなりそうだった。
自分の知ってる彼に纏わるできごとが全て言いようのない素晴らしいものに思えた。加藤さんが好きだ。シゲが好きだ。
 
わたしはこの日、東京ドームでもう一度彼に恋をした。
 
かっこよくてかわいくて愛しくて、世界中の何より彼が好きだ。人をこんなに好きになって良いのだろうか。自分はこんなに人を好きになれるのか。そう思った。
 
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あれから1週間が経った。わたしの心はまだ東京ドームにある。そろそろ現実世界に戻ってきてくれないといろいろ困るのだが、あの日からずっと気持ちがふわふわしたままだ。
 
彼を見るたび心臓が締め付けられるくらいときめくし、彼のことを考えてる時間がこれ以上ないくらい楽しい。
今までもわたしは加藤担だったし、今までも加藤さんが世界で一番好きな人だったけど、軽くそれを更新するくらい彼が好きだ。彼の目に悲しいものは写したくない。彼の見る先は幸せな世界であってほしい。彼の身に降りかかる不幸は全てなぎはらいたい。ジャニヲタがよく使う表現だけれど、長いジャニヲタ生活の中でも初めてそう感じた。
 
 
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冒頭で散々書いておいてなんだが、わたしは今までの自分を否定したいわけじゃない。趣味のスタンスなんてひとりひとり違って当然だし、今が一番楽しいから何も文句はない。埋めてこなかった彼への情報も、今新しいことを知れる喜びに変換できるからむしろ感謝しているくらいだ。
今までのわたしがズボラだろうと不真面目だろうと加藤さんが大好きだったことは事実だし、世界で一番好きだと思っていたことも本当だ。でも、だからこそ今の気持ちに少し驚いてもいる。
 
彼を見ると喉から何かがこみ上げてきて、彼に関することを知ると体のどこかから言いようのないエネルギーが湧き出てくる。四六時中彼のことを考えていて、それがたまらなく楽しい。この感覚って、担降りした時にとても似ている。
 
わたしが加藤シゲアキを担当にしたのは3年前だ。まだまだまだまだ、永遠にひよっこ加藤担だが、確実にこの3年間だって加藤さんのことを担当していたことは事実だ。
今までの加藤さんと現在の加藤さん、今までの自分と現在の自分。なにが違うのかわからないしうまく言葉にできないけど、3年目にしてわたしは改めて加藤さんに落ちた。再び同じ人に担降りした。
今が楽しい。毎日好きが溢れてたまらない。つい1週間前までヲタ卒しようとしていたなんて嘘みたいだ。
 
加藤さんが存在しているというだけでこの世界が本当に輝いて見える。
 
新規加藤担として、今日も明日もこの世界が楽しみで仕方がない。