overture

三度の飯よりまるしげが好き。

貧乏美大生ジャニオタの応援スタンス

最近「ジャニーズファンの応援スタンス」というトピックをよく覗いている。ここ最近いろんなジャニヲタの応援スタンスを拝見して楽しんでたんですが、ちょうどいい機会かなと思ったので自分の応援スタンスの記録なんかも書いてみようと思います。

二つ前のエントリーで「脱ズボラなヲタク宣言!」みたいなのをしたので、ズボラじゃないときの自分のスタンスを書き起こしてこれからの行動指針にしようかななんて思ったり。逆に行き過ぎたときのセーブ要素としても使えるかもしれないし。

 

▼書いてる人

関東在住の美大生。

基本お金もないし時間もない。ないはず。仕送りというものがないので結構毎月ヒーヒー言いながら生活してます。アイドルのために日々節約の限界を目指している。(これが結構楽しかったりもする。)勉強に使うお金だけが唯一アイドルより優先されるべきお金。ライブ前は一週間塩むすび一週間冷凍うどん上等。

アルバイトを二つ掛け持ちしています。来月友人の紹介でもう一つバイト始めます。こんなに働いてるのにだいたい生活費と制作費に消えるのほんとどうにかして欲しいです。めげない。

 

▼担当:NEWS 加藤シゲアキさん

関ジャニ∞の 丸山くんも特別応援してるんですが、お金を使って応援しているという観点でみると加藤担が一番しっくりきます。でもエイトにもお金は使うので掛け持ちではある。

それ以外のグループも興味はありまくりなんですが今はこの二つのGで精一杯なのが本当のところ。スマ嵐かつんジャンプセクゾンあたりは情報追ってますがお金はほとんど使ってません。

あと、特筆すべきはマルシゲというコンビ(丸山くんと加藤さんのコンビ)に異常な執着があるところ。

 

▼雑誌を買う基準

自担のビジュがいいものは何も考えずに買ってると思います。テキストの内容が個人的にツボなものも買いますがだいたいいつも出ないような特別な雑誌のインタビューとかが多い…かな?

あと加藤さんの出版物関係はかき集めます。この辺は収集欲を満たしてる感じだけどもれなくビジュアルもいいので結局基準は変わってないです。自担以外のメンバーも圧倒的にビジュアルが良かったり普段載らないような雑誌に載ってるときは買ったりします。あとはマルシゲ。マルシゲエピが載ってるのは即レジ。ドル誌はGIRL FRIENDS(マルシゲ連載)のあるMyojoは定期購読で毎月自宅に届くようにしてて、あとは見て買うか決めてます。が、正直ドル誌立ち読みはしんどいから結局あんまり買ってないです。ドル誌好きなんだけどなあ……

ちょっと前のドル誌の画像流出が一斉に言及されたくらいの時期から写メとかがあんまり出回らなくなったじゃないですか。スキャン画像を流すのはもちろん絶対にダメだと思いますが、わざと影入れてる写メとか見切れてる画像とかは立ち読み効果でアオノに対してはこれ以上ない販促でした。本屋って思ってる3倍くらい時間食うから結構足が遠のいちゃうことってありませんか。だから実はツイッターに流れてくる写メレポにだいぶ助けられたりしてた……だってあれがあれば吟味の時間かなり短縮されるんだもん。しかもまめじゃない方のヲタクなのでなんの雑誌の何号に自担が載ってるか把握しきれてなくて気が付いた頃には店頭から消えてる……とかザラです。なのであれ以来雑誌を買う機会が激減。もちろんスキャン画像を流したりだとかは許されないことなので取り締まりは厳しい方がいいと思います。あくまで結果論の話でした。

家の前に本屋さんできないかなあ。

 

▼CDを買う基準

▼映像作品を買う基準

脳死全種買い。Blu-rayの初回とDVDの初回の特典映像が違うなら両方買ってBlu-rayの通常も買うし、通常も違うなら4種買います。って言いたいところなんだけど、むしろ昔は言ってたんだけど、そうも言えない状況に(金銭的に)立たされてしまってるのでエイトはちょっと考えます。TLの様子を見ながら吟味する…っていうのをこの間初めてしました。

Blu-rayの画質に慣れてしまったので通常はBlu-ray優先です。基本的に垂れ流したい派なので一枚にまとまってるっていう点でもBlu-rayは優秀。だと思ってたら最近のライブBlu-ray二枚に分かれてるんですけど??まじ?そんな画質上がってんの???ジャニーズの顔って生まれ持った解像度が高すぎてちょっとの画質の差とかよくわかんなくなる。

ドラマや映画のDVD BOXとかはあんまり買ったことがないです。いつもほしいなあと思ってはお財布と相談し、買えるはずのない額に泣きながら指をくわえてTLを見ています。

 

▼現場に行く基準

関東に住んでるので担当ユニのツアーの関東公演は1公演は入りたいなあって感じ。

あとは実家が名古屋にあるので名古屋遠征は宿泊費ゼロ。よって名古屋も基本入っています。大阪公演は名古屋から近鉄で比較的楽に行けるので日程と財布に余裕さえあれば行きたいなあ〜いけるかな〜って感じです。関東か名古屋のどちらかには毎回確実に入ってます。

ちなみに今現在はNEWSとエイトの現場にしか行ってないです。他の現場もめちゃくちゃめちゃくちゃ興味あるんですけど、自分の限られた娯楽に使えるお金はすべて自担に捧げたいと思っているので学生のうちは諦めてます。いつかいきたい。いつか。

少ない時で年間3〜4公演、最多は10公演程度。お金と日程に余裕があれば舞台も1公演くらい入ります。でも基本はライブ優先なのでそのお金をライブに回すことが多いかも。

ライブ舞台以外の現場も超行ってみたいんですがいかんせんぼっちなので偶数の壁が厚い。超厚い。関東にジャニヲタの友達ほとんどいねえよ。だれかおともだちになってください。

 

▼グッズを買う基準

パンフとペンラとタオルと自担のクリアファイルは何も考えずに毎回買ってます。うちわとフォトセはお布施要員……といいつつ結局毎回公演後に必ず買ってるのでレギュラーといても過言ではない。あとはその時のデザインとかで買います。普段使いできるか?よりもデザインが好みかどうかで判断してます。ライブグッズは自分が勉強してる分野にめちゃくちゃ関係あるので半分は勉強代だと思って買ってます。

 

▼ジャニショで写真を買う基準

そもそも上京してからジャニショにほとんど行ってないなあ……地元にいる時はめちゃくちゃ行ってたのに……。

これは他の方と同じくビジュアルが良いかどうか以外に基準がないです。複数買いはよっぽどのことがない限りあんまりしないかな。あと、意識して自担優先で買うようにしてます。お布施お布施。

 

▼テレビ番組を録画する基準

録画して満足しちゃうタイプなのでいつだってあんまり見れてないのが事実。これをやめたい。ちゃんと録画消費してディスクに焼けるまめなヲタクになりたい。見た時の感想をつぶやいてツイッターにちゃんとメモできる未来の自分に優しいヲタクになりたい。WSは8割型録画を忘れるか編集せずに消してしまうのでわりと本気で全録レコーダーの導入を考えています。もう少し技術が進歩するか手頃な値段になったら即買うのになあ。一般層には絶望的に需要ないだろうし無理なのかなあ。

 

基本担当ユニが出てる番組は全録画+Sexy Zoneでキーワード録画してます。編集が面倒で後回しにしてしまうくらいならざっくり編集でベタ焼きする派。録画残量に余裕がないと胃がキリキリするので回転率上げることを優先してます。よって録画画質は基本最低。変ラボと関ジャムとビビットと音楽番組はDRで録画してます。あとMステはDRで毎週録画してます。これだけで安心感が違う。

 

▼ラジオを聴く基準

SORASHIGE BOOKとKラジは毎週聞いてます。正直音楽部の話は半分くらい何言ってるかわかんないんですけど何言ってるかわかんない自担のクソサブカルな部分が大大大好きなのでニヤニヤしながら聞いてます。シゲに「おやすみ」って言われて寝ないと次の日の朝から一週間が始まらない。

あと、これは超個人的な体質なんですけど、好きなアイドルが出てる生放送のラジオ番組を聞けません。だからwktkもらじらーもレコメンも聞いてなかったです。レポ回ってきてこれはと思った時だけ録音ファイルいただいて要所だけ聞いたりはしてましたが基本生放送のラジオって苦手です。いろいろ理由はある。

 

 

 

 ざっとこんな感じでしょうか!ざっとというボリュームじゃなくなってしまった感がすごいんですが、いつかこういう自分の中のスタンダードみたいなのを形にしておきたいなあ〜と思ってたので楽しかったです。

そんなに変わった応援の仕方はしてないと思うんですけど、どうでしょう。似たようスタンスの人多いんじゃないかな?思い込みかな?基本的にお金が足りてない感じが記事全体から充満してる。お金がない分マメなヲタクでいたいです。 がんばるぞ。

気がついたら自分と違う意見が平気になってた話

誰に求められてるわけでもないんだけど、そもそも誰かに求められてブログを書いてるわけではないんだけれど、真夜中に思ったことをつらつらと書いていこうと思う。

 

私が初めて「ジャニーズが好きだ」と思ったのは小学校四年生の時だった。というか、この時は「嵐が好き」というのを自覚しただけで”ジャニーズ”が好きだったわけではないのだけれど、とにかく私がジャニーズ事務所に関する物事を好きだと初めて思ったのはまだ年齢が二桁にも及ばないころだった。

そのころはまだ「相葉くん好きだなあかっこいいなあ」と思っているだけで自分がジャニヲタであるという気持ちも自意識もなかった。むしろ「私は”嵐ファン”」という気持ちが強かった(気がする)。10年以上前のことなんてもうあまり覚えていないのだけれど、この考えはちょっと軽く高校入学くらいまで引きずるから多分こんな感じのことを考えていたんだと思う。そんで、自分がジャニヲタだと自覚(自称?)し始めたのは嵐を好きになって5年くらい経ってから。Twitterをはじめたことがきっかけだった。

私の家族は基本的に無趣味を絵に描いたような人が多くて、それまでの私には『趣味にお金を使う』という思考がそもそも存在しなかった。しかしわたしが中学を卒業するころ、世の中にはインターネットが急速に普及し若年層にもyoutubeSNSが広がり始めていた。それに伴い”興味のあるもの”に関する情報を手に入れることがずっと簡単になり、その結果私も『もっと嵐のことが知りたい』と思うようになったのだ。

嵐のことが好きだから、CDがほしい。DVDがほしい。コンサートに行きたい。「じゃあコンサートって、どうやっていくんだろう?」そう思って検索ボックスに『嵐』と入れたのが最後、ジャニーズ×インターネットの魅力に気が付いてしまったのだ。本当はmixiがやりたかったんだけど、当時のミクシィは未成年へのサービスを開放しておらず、更に承認制と来たもんだから私はなくなく日本上陸したばかりのツイッターに手をだしたのだ。2009年頃のツイッターは黎明期で、まだまだユーザーは多くなかった。正直ジャニヲタする上であまり十分な情報が得られるツールとは言いづらいものだったように思う。それでも私は「自分以外の嵐好きと交流する」ことが楽しくて仕方がなくて、来る日もTLに張り付いた。

顔も知らない 住んでる場所も年齢もよく知らない人たちと交流する中で、自分を端的に形容する言葉が必要だった。そこで私は”担当”という便利な言葉を覚えた。「相葉担のアオノです」そう名乗れば新しい人ともとりあえず仲良くなれた。

担当っていう言葉、成り立ちは好きじゃないし素敵でもないとは思うのだけれど、こちらの業界特有の響きと定義があって他に代用できない言葉だなと思う。

このユニークな言葉を使い始めたとき私は初めて自分が”ジャニヲタ”であることを自覚した。

それからしばらく精力的にツイッターで活動を行っていて、交流の幅も視野も大きく広がって言ったのだが、2011年のはじめに私は一旦ジャニーズから完全に離れることになる。

理由はいろいろあるけれどそれも話し始めるといよいよセルフ一万字インタビューとかになりそうなので今回は触れないでおく。

 

ここまでの時期を私のジャニヲタ人生第1期としている。このころの私のジャニヲタスタンスは今の私ととにかく何もかもが違った。

いわゆるリア恋、というのか本気愛とでもいうのか。本気で相葉くんが好きだったし本気で相葉くんと付き合いたいと思っていた。いや今でも本気で丸山くんが好きだし本気で加藤さんと付き合いたいと思ってるけど。そうじゃなくて、現実世界で出会って恋愛したかったのだ。クラスの男の子を好きになるとか、そういうのと同じ感覚で相葉くんが好きだったのだ。いま思うとそんな感覚なのに同担拒否じゃなかったのすごいなあと思うのだが、そういえばあの頃あんまり周りに相葉担っていなかった気がする。当時ツイッターに生息していた嵐クラスタはほとんどカバーしていたと言っても過言ではないほどただひたすら交友関係を広げていたのだが、それでもあまり相葉担の方と交流したことが記憶にないということはやはり無意識のうちに同担を遠ざけていたのかもしれない。貶し愛とかいう、今の自分では考えられないような愛情表現も多用していた。メンバーの気になる部分とか愚痴だったりも垂れ流していたし、今では理解できないけどそういうのをみんなで言い合ってるのがなんだか無性に楽しかったという記憶がある。

で、ここまで前置き的な部分を長くしておいて何が言いたいのかというと、この第1期のアオノはジャニヲタする上で「相葉くんが好き」「相葉くんがかっこいい」「嵐が好き」この三つの感情があれば十分だったということ。それが言いたかった。

私は相葉くんが好きで、嵐が好きで、だから嵐の番組を見る。だから嵐の曲を聴く。だから同じ嵐好きな人と交流する。それだけでジャニヲタ活動の全てがまかなえた。貶し愛だって、「相葉くんが好き」だからついついやっちゃう。「嵐が好き」だけど気に入らないところは気に入らない。そうやって、理屈じゃなくジャニヲタしてた。それが第1期だった。

 

少し時が流れて、2013年の春に私は再びジャニヲタ沼へどぼんするのだが、そこから今日までのジャニヲタ活動を仮に第2期としよう。

第1期の私と打って変わって、第2期の私はとんでもなく理屈をこねくり回すジャニヲタになっていた。どうしてかアイドルに関するありとあらゆる事象の定義や体系を分析しないと気が済まない、そんな体質になっていた。それは加藤シゲアキとかいう人の探究心やら知識欲やらを掻き立てる天才を担当してしまった者の宿命なのか、あるいは1年のブランクの間に私の中で何かが変わってしまったのか……答えはその両方だった。

こんなことを書いてしまったら身バレ必至なのかもしれないが、自分の記録用ブログなのでこの際包み隠さず全て書いてしまおうと思う。2013年に加藤さんを担当した時、私は浪人生だった。いわゆる美大受験というやつをしており、予備校に通って一年実技の勉強をしていた。そんな中で、”自己分析”なるものをひたすらにやらされたのだ。そもそもものづくりとは自己表現でもあるため自己分析が必須なのは往往にして言われていることなのだが、通常美大受験の段階ではそこまで突き詰める必要はないとされている(もちろんするに越したことはないが)。しかし私の予備校時代の恩師は「今だからこそ必要なの」となかなかの重さの自己分析課題を提示し、私は毎日ヒーヒー言いながらも自分と向き合っていた。

「あなたの魅力はなんですか」

「あなたらしいってなんですか」

「あなたにとってデザインとはなんですか」

「あなたは将来どんなデザインがしたいですか」

前ふたつは単純にそのまま自己を分析するものなのだが、後ろふたつは志望がデザイン科だったためこのような質問が出されていた。これらの質問がま〜〜〜〜難しい。自分の魅力ったってそんなもんわっかんねーし解ってたとしても自分で口にするのってどうなのよ!?などと言いたいところだが、恩師曰く「自分の魅力もわからないような人間に魅力的なデザインができるわけがない」んだそうで。そんでもって”デザイン”とかいう言葉がこれまた難しく、平たく言う美術とは似て全く非なるものでそこにほとんどエゴが存在しないのだ。それなのに自己分析だとか作品は分身だとか言われちゃったらちょっとなにそれ矛盾がすぎるじゃありませんの?ってなる。なってた。

発狂しそうになりながらも私はこの鬼畜な質問に対する自分なりの答えを考えに考えに考え、ついには明確なものを導き出した。もうこれが大変なんてものじゃなかった。本当にノイローゼになるんじゃないかと思うくらい頭使った。ネアカで有名なアオノの頭も毎日の自己分析に疲労困憊だった。

しかし頭を抱えて苦悩したその分だけ、答えが出た時の快感は形容しがたいほどのものだった。

自分が考えてる形にならないようなもやっとした思考を言葉という明確な形で表現するということ。

あるいは、言葉にするまで明確に定義づけされていなかったものを自分が描写することで形として生み出すということ。

あるいは、確かに存在するけど明瞭じゃないものの体系を改めて観察して表現すること。

これが体現できたときの快感は凄まじい。私はこの一年でそれを覚えてしまった。

 

ものごとには全て体系がある。それは定義化されているものもあれば、流動的で曖昧なものもある。しかしすべてそこに確実に存在するのだ。それを言葉にして伝えること、他人にも伝わる情報形態に変換して表現すること。とてつもなく好きだと思った。病みつきになった。普段の生活でも頻繁に形ないものについて考えるようになった。

それをジャニヲタ活動に輸入したのだ。晴れて理屈こねくり回す系ジャニヲタの完成である。特に加藤シゲアキっていうクソサブカル正統派イケメンインテリ系小説家ジャニーズがこの欲求と快感を満たすのなんのって、ねえ。

んで、理屈こねくり回すって言ってもなんの理屈をこねくり回してんだって話なんだけど、それはひとまず置いておいてここからまたちょっと視点を変えて展開していきたいと思う。長いよ。夜中になにしてんだろ。

 

私は元来、とても好き嫌いがはっきりしている人間だ。加えてかなり否定的で攻撃的な性格をしている。だから嫌いなものも多かったし、愚痴やら文句もとても多かった。それじゃだめだなと思ったのが、これまた浪人時代なのである。私の嫌いなものの筆頭は、実は他でもない"自分自身"で、だからこそとても偏屈な子だった。そして前述の恩師に出会うのだが、「自分の魅力を知れ」という恩師の言葉はつまり「自分を好きになれ」とほぼ同意だった。

でもこの世で一番嫌いなものを好きになるなんてそうそうできないじゃん。しかも超否定的ガールに一朝一夕でできるわけないじゃん。半分駄々をこねるような気持ちで始めはそう思っていたのだが、受験生に駄々をこねてる暇なんてなかった。本当に時間がなかった。だから私は強硬手段に出た。それは「自分の中のマイナスの感情を殺す」大作戦だった。

そもそもなんで自分が嫌いだったかって、何でもかんでもすぐ文句をつけたがる否定的な性格が嫌いだったのだ。だってマイナスの感情にエネルギーを振るのってめちゃくちゃもったいない。だったらその体力も時間も、思考回路のレパートリーさえ楽しいことや好きなことに使ったほうがうんと有意義でハッピーだと思わないか。

「自分の中のマイナスの感情を殺す」大作戦は、この有意義でハッピーな考えともとても相性が良かった。否定的なことを口に出さないようにすることからはじめて、次に否定的なことを考えないようにする。そのうち否定的な目を自ら殺すことができるようになった。否定的な目を殺すと、対象の魅力的な部分しか見えなくなった。『”デザイン”とは、ものの魅力を伝えること』。「あなたにとってデザインとはなんですか」の質問に対する私なりの回答がこれだったため、この有意義でハッピーな視点で世界を観れるようになってから制作がすこぶる捗った。これが正解なんだと思った。もしかしたら間違ってるかもしれない。でも、時間のない浪人生活の中で見つけた整合性の取れている考えはとりあえずの正解としておきたかった。

 

そのうちに、わたしは否定的な意見を表に出すことができなくなっていた。

出し方を忘れたとかそういうことじゃなくて、出すとどうしようもなく拒否反応が出るのだ。とてもストレスが溜まって、なんだか無性に傷ついて、突然憎悪が湧いてきたりする。それは自分の表現だけじゃなく、他の人が表現していてもそうだった。極端か。そう言われてしまいそうだが、美大浪人生なんて余裕のよの字もない生き物だ。みんなどっかしら頭がおかしくなっている。まじで。

そんな肯定モンスターがすがったのは、他でもないアイドルだった。自分の肯定欲求をすべてアイドルにぶつける。そうすることで否定的な意見を求められた時や 人の否定的意見を聞かなければならない時とのバランスをとっていた。

 

理屈こねくり回して、私はアイドルの肯定できる要素をひたすらに探していたのだ。アイドルとは不思議なもので、肯定できる部分が無限に存在する。しばしば盲目と呼ばれる部類のファンがいる通り、肯定しようと思えばそのすべてを肯定できる。私にとって格好の対象だった。

理屈こねて気持ちよくなって、心ゆくまで肯定の暴力をぶつけて、ついでにこんな感じで文章とか書いちゃって表現欲求まで満たされる。こんな素晴らしい趣味世界中探したって他にどこにもない。

どこまででも肯定できるアイドルのさらに素晴らしいところは、どれだけ理不尽な肯定をぶつけてもすべて受けとめてくれ(ている気にさせてくれ)るところだ。理不尽な肯定とはつまりおもーーーーーーーい愛のようなもので……いや、重い愛なんかよりももっとタチの悪い、捏造を愛してるというべきか、個人の作り上げた偶像を愛するということで、そんなひん曲がった愛を現実世界の人間に向けることは到底許されることではない。誰だって勝手に自分の人格を捏造されてそれに勘違いの愛をぶつけられたくはない。そんな現実世界では許されないことをアイドルは天使の微笑みで受けとめ、さらには「ありがとう」なんていう言葉までくれる。なんと素晴らしいことだろう。アイドルって、他に変えようがない素晴らしい存在だ。

 

そういうわけで、第2期のアオノは「アイドルを肯定するために理屈こねくり回して」ジャニヲタしている。このスタンスでジャニヲタするにあたって加藤さんと丸山くんってまじ最高なんだけどこの時代の日本に生まれてきて良かったって話する?

理屈じゃなくジャニヲタしてたときだってめちゃくちゃ楽しかったし、肯定欲求を満たすために理屈こねくり回してジャニヲタしてる今もすんげー楽しい。どっちが楽しいかって言われても選べない。

 

……いや、もしかしたら理屈じゃなくジャニヲタしてたときの方が楽しかったかもしれない。余計なもの見えてなくて、好きっていう感情が常にドーパミンどばどば排出してくれてたりして、もう2度とあの頃みたいな熱量でアイドルを応援できない気もする。でも、例えば 『あのまま理屈こねくり回すジャニヲタの仕方を知らずに今日まで生きてくる世界線』があったとして、そんなのなんてつまらなくてもったいないジャニヲタ人生なんだろうなあとも思う。個人的にはね。

あと 理屈じゃなくジャニヲタしてるままだったら、きっともう今ジャニヲタじゃない気がする。三年前にNEWSに降りる事実は変わらなくても、現時点で二回目のヲタ卒してそう。そう考えると今のスタンスにたどり着けてよかったなって心底思う。だってジャニヲタより楽しい趣味この世にないと思ってるから。

 

今の自分のスタンスが好きだし、今の自分とアイドルとの関係性も好き。こうやって自分のスタンスがはっきりしてると、自分と違う意見を見ても「なるほどこういう考えもあるのかあ」って比較的素直に受け止められる。もちろん愛があるものに限るんだけども。不満だって、批判だって、そこに愛があることが伝わってこれば読むことはできる。愛があるかどうかなんて同じ対象を好きな人同士ならわりとすぐ判断できるものだ。たとえ応援スタンスが大きく違ったとしても。

 

他人の否定的意見が聞けなかったときの私なら今の、QUARTETTOの感想渦巻く状況にきっと耐えられなかった。でも今は違う。NEWSに、関ジャニ∞に、大好きなアイドルに肯定欲をぶつけて満たされた心はそう簡単に傷つかない。

自分が嫌いだったけど、今でもそんなに好きじゃないけど、他人の意見ですぐ腹を立てたり傷ついたりしてたあの頃の自分より今の自分の心持ちの方がだいぶ好き。

アイドルのおかげでちょっと自分が好きになれてる。気がする。

 

 

 

 

 

いろんな意見感想を見ていろいろ考えてらっしゃる記事やつぶやきを読んで、NEWSが可愛くて可愛くて仕方がない状態の今の自分がこの環境平気なのめちゃくちゃ意外だなと思って分析してみた結果でした。自分の心理状況とかいう形のないものを形にするのきもちいーーーーーっていう記事。

もう一度加藤シゲアキに恋をした話

 
 
あの日東京ドームで、私はもう一度加藤シゲアキに恋をした。
 
1度目は2012年ツアーのライブDVDだった。真っ白い衣装に黒髪が映えて、胸についた羽を揺らしながら笑う彼は大袈裟ではなくまるで天使だと思った。
涼しげな顔、悩ましげな声、非の打ち所のない鮮やかな笑顔。
 
「正直、もうだめだと思いました」
 
ステージでひとりスポットライトをあびながら、きれいな顔をぐしゃぐしゃにして彼は心をさらけ出していた。
彼に決めたという感覚も、ましてや雷に打たれたかのような衝撃もない。
ただただひたすら好きだと思った。この人のことをもっと知りたいと思った。
それが私が彼に初めて恋をした瞬間だった。
 
 
 
#
 
 
 
ついこの間降りたばかりのような気がするのに、気がつけばあれから3年がたっていた。リアルでの環境が変わって、生活が変わって、好みが変わって、目移りしたり掛け持ちをしたり、わたしは決して真面目な加藤担ではなかった。趣味に真面目もクソもないのだが、とにかくこの3年間はズボラで無責任なおたくだった。
 
NEWSを全く追わない時期もあれば他のタスクを放り出して夜通しDVDを見ることもあったし、円盤類は迷わず全種購入するくせに封も切らず半年以上放っておくこともあった。
私生活がグラつくとアイドルにすがり、各方面が充実するとアイドルを見なくなる。
 
自担のことはなんでも知っていたいのに、自分で調べることはしない。自担のことを知らない自分を見たくなくてわざと忙しいふりをしていた。他人が知ってて自分が知らない自担がいるのが嫌だった。
そのくせ露出はチェックしないしレコーダーの残量がなくても見て見ぬ振り。
友人へのダビングだってきっと1つや2つは録り逃していただろう。
忙しいからおたくできないなんてただの言い訳だった。
中途半端になるくらいならライトファンという名を盾にして目をそらす方が楽だった。
 
忙しくたっておたくはできる。いや、本当にできないくらい忙殺されてる人だってたくさんいるんだろうけど、私の「忙しい」はただの言い訳でしかなかった。
 
本当にもったいないことをしていたなあと思う。私がズボラなおたくをしていた間も、加藤さんはずっと歩みを止めなかった。1分ごと、1秒ごと、ずっとずっと彼は彼のかっこいいを更新し続けていた。と、今になって気がついた。
 
 
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私はあと2年で環境が大きくかわり、今年の春からその準備の年がスタートしていた。この後の人生がかかった大きな年に趣味へのモチベーションは下がり、「趣味は趣味だから、今年と来年くらいはお休みしよう。」そんな考えが日を増すごとに大きくなっていた。
 
将来のことを考える真面目な態度が神様に気に入られたのかそれとも趣味から離れることを許されなかったのか、縁あって東京ドームに2daysとも入れることになった。実家が名古屋にあり、いつもなら名古屋の公演だって死に物狂いで探すくせに、今年はしなかった。正直、自分の名義が全部外れていたってこの時の私ならそこまでショックを受けなかったかもしれない。
 
そんな状態のやつがNEWSのライブに行くなんて贅沢だと、これを書いていて心底思う。殴り飛ばしてやりたい。貴重な貴重なNEWSとのデートをそんなモチベーションで迎えるくらいなら、いっそ今の私に譲ってほしい。
 
 
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来たるNEWS LIVE TOUR 2016 QUARTETTO。
東京ドームで見る彼は、今まで見てきたどんな彼よりかっこよかった。
 
近くて遠いステージの上、歌って踊って笑って手を振るあなたは 果たしてこんなにもかっこよかっただろうか。
眩しくて目が離せなかった。彼が動くたび揺れる裾からキラキラした何かが溢れ出て見えた。
動いてる加藤さんを久しぶりに見た気がした。歩き方も、振り返り方も、一生懸命踊る姿も、ずっとずっとかっこよくなっているように見えた。
 
私は今まで何を見てきたんだろう。
 
目の前で起こってることが奇跡のように感じた。加藤さんが生きて、動いていることが嬉しくて泣きそうになった。
 
こんなにかっこいい人を私は見た事がなかった。
 
眉をひそめたクールな顔も、少年のようなかわいい顔も、ファンに向けるキラキラスマイルに、メンバーに見せるネコバス笑い。全部全部かっこよくてかわいくて、ぜんぶぜんぶ覚えておきたかった。
 
加藤さんが好きすぎて頭がぼーっとして、途中からペンライトを振れなかった。いつもなら手放せない双眼鏡は首からぶら下がったままだった。胸の前で彼のうちわを握りしめながら、わたしはただひたすらに今加藤さんと同じ空間にいるんだという事実を記憶しようと必死だった。
 
加藤シゲアキって、なんてかっこいいんだろう。加藤シゲアキって、なんて可愛いんだろう。小説を書いてることとか、ラジオで趣味の話をすることとか、メンバーとのエピソードとか、過去の苦悩とか。全部目の前のこの人に関する事実なんだと思うと、好きが溢れて頭がおかしくなりそうだった。
自分の知ってる彼に纏わるできごとが全て言いようのない素晴らしいものに思えた。加藤さんが好きだ。シゲが好きだ。
 
わたしはこの日、東京ドームでもう一度彼に恋をした。
 
かっこよくてかわいくて愛しくて、世界中の何より彼が好きだ。人をこんなに好きになって良いのだろうか。自分はこんなに人を好きになれるのか。そう思った。
 
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あれから1週間が経った。わたしの心はまだ東京ドームにある。そろそろ現実世界に戻ってきてくれないといろいろ困るのだが、あの日からずっと気持ちがふわふわしたままだ。
 
彼を見るたび心臓が締め付けられるくらいときめくし、彼のことを考えてる時間がこれ以上ないくらい楽しい。
今までもわたしは加藤担だったし、今までも加藤さんが世界で一番好きな人だったけど、軽くそれを更新するくらい彼が好きだ。彼の目に悲しいものは写したくない。彼の見る先は幸せな世界であってほしい。彼の身に降りかかる不幸は全てなぎはらいたい。ジャニヲタがよく使う表現だけれど、長いジャニヲタ生活の中でも初めてそう感じた。
 
 
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冒頭で散々書いておいてなんだが、わたしは今までの自分を否定したいわけじゃない。趣味のスタンスなんてひとりひとり違って当然だし、今が一番楽しいから何も文句はない。埋めてこなかった彼への情報も、今新しいことを知れる喜びに変換できるからむしろ感謝しているくらいだ。
今までのわたしがズボラだろうと不真面目だろうと加藤さんが大好きだったことは事実だし、世界で一番好きだと思っていたことも本当だ。でも、だからこそ今の気持ちに少し驚いてもいる。
 
彼を見ると喉から何かがこみ上げてきて、彼に関することを知ると体のどこかから言いようのないエネルギーが湧き出てくる。四六時中彼のことを考えていて、それがたまらなく楽しい。この感覚って、担降りした時にとても似ている。
 
わたしが加藤シゲアキを担当にしたのは3年前だ。まだまだまだまだ、永遠にひよっこ加藤担だが、確実にこの3年間だって加藤さんのことを担当していたことは事実だ。
今までの加藤さんと現在の加藤さん、今までの自分と現在の自分。なにが違うのかわからないしうまく言葉にできないけど、3年目にしてわたしは改めて加藤さんに落ちた。再び同じ人に担降りした。
今が楽しい。毎日好きが溢れてたまらない。つい1週間前までヲタ卒しようとしていたなんて嘘みたいだ。
 
加藤さんが存在しているというだけでこの世界が本当に輝いて見える。
 
新規加藤担として、今日も明日もこの世界が楽しみで仕方がない。